正岡子規(1867~1902)の随筆集。明治35年(1902)5月5日から死の二日前の9月17日まで新聞『日本』に127回にわたって連載された。
日記風に綴られた随筆ではあるが、内容は文学論、絵画論、文明批評等、多岐にわたっている。『松蘿玉液』『墨汁一滴』とともに子規三大随筆の一つ。
一
〇病牀六尺、これが我世界である。しかもこの六尺の病寐が余には広過ぎるのである。
年が年中、しかも六年の間世間も知らずに寐て居た病人の感じは先ずこんなものですと前置きして(五月五日)
七
〇
けだし左千夫は肥えたる人にして節は痩せたる人なり。他人のことも善き事は自分の身に引き比べて同じやうに思ひなすこと人の常なりと覚ゆ。
かく言ひ争へる内左千夫はなほ自説を主張して必ずその肥えたる由を言へるに対して、節は人麻呂は痩せたる人に相違なけれどもその骨格に至りては強く
余はこれを聞きて思はず失笑せり。けだし節は肉落ち身
さればにや人麻呂をもまたかくの如き人ならむと己れに引き合せて想像したるなるべし。人間はどこまでも自己を標準として他に及ぼすものか。(五月十三日)
二十一
〇余は今まで禅宗のいはゆる悟りといふ事を誤解して居た。悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。
〇
また問ふ。
また問ふ。………………………。曰、苦。(六月二日)
百二十四
〇人間の苦痛はよほど極度へまで想像せられるが、しかしそんなに極度にまで想像したやうな苦痛が自分のこの身の上に来るとはちよつと想像せられぬ事である。(九月十三日)