永井荷風(1879~1959)の日記。大正6年(1917)9月16日から死の前日の昭和34年(1959)4月29日に至る42年間の記録。
「断腸亭」とは起筆当時の住居にちなむ。「日乗」とは日記のこと。永井荷風の文学や彼の女性遍歴を知るうえでも貴重な資料となっている。
なかでも昭和20年3月10日の東京大空襲にはじまる5カ月間の罹災記事は圧巻であり、この部分は『罹災(りさい)日録』として昭和21年(1946)3~6月の『新生』に掲載、のち刊行された。
三月九日。天気快晴。夜半空襲あり。翌暁(よくぎよう)四時わが偏奇館焼亡す。火は初(はじめ)長垂坂中ほどより起こり西北の風にあふられ忽(たちまち)市兵衛町二丁目表通りに延焼す。
余は枕元の窓火光(かこう)を受けてあかるくなり鄰人の呌(さけ)ぶ声のただならぬに驚き日誌及草稿を入れたる手鞄包(てかばん)を提(さ)げて庭に出でたり。
谷町辺にも火の手の上がるを見る。また遠くの北方の空にも火光の反映するあり。火星(ひのこ)は烈風に舞ひ粉々として庭上に落つ。(昭和二十年)