夏目漱石(1867~1916)の長編小説。大正5年(1916)5月26日から12月14日まで、東京・大阪の『朝日新聞』に連載されたが、作者の死により未完。翌年1月、岩波書店刊。
自惚と嫉妬の虚飾に満ちた津田とその妻お
手前勝手な男としての津田が不意にお
彼女はその疑念を晴らしてくれる唯一の責任者が今自分の前にいるのだという自覚と共に、岡本の細君を見た。その細君は、遠くに離れている両親をもった彼女から云えば、東京中で頼りにするたった一人の叔母であった。
「
これがお延のとうから叔母にぶつかって、
ある意味からいうと、毎日土俵の上で顔を合せて相撲を取っているような夫婦関係というものを、内側の二人から眺めた時に、妻はいつでも夫の相手であり、またたまには夫の敵であるにしたところで、いったん世間に向ったが最後、どこまでも夫の肩を持たなければ、
だから打ち明け話をして、何か訴えたくてたまらない時でも、夫婦から見れば、やっぱり「世間」という他人の部類へ入れべきこの叔母の前へ出ると、敏感のお延は外聞が悪くって何も云う気にならなかった。
その上彼女は、自分の予期通り、夫が親切に親切を返してくれないのを、足りない自分の
「世間には津田よりも何層倍か気むずかしい男を、すぐ手の内に丸め込む若い女さえあるのに、二十三にもなって、自分の思うように
知恵と徳とをほとんど同じように考えていたお延には、叔母からこう云われるのが、何よりの苦痛であった。女として男に対する腕をもっていないと自白するのは、人間でありながら人間の用をなさないと自白するくらいの屈辱として、お延の自尊心を
時と場合が、こういう立ち入った談話を許さない劇場でないにしたところで、お延は黙っているよりほかに仕方がなかった。意味ありげに叔母の顔を見た彼女は、すぐ眼を
舞台一面に垂れている幕がふわふわ動いて、
下は席を出る人、座へ戻る人、途中を歩く人で、一度にざわつき始めていた。坐ったぎりの大多数も、前後左右に思い思いの姿勢を取ったり崩したりして、片時も休まなかった。
無数の黒い頭が渦のように見えた。彼らの或者の
土間から眼を放したお延は、ついに谷を隔てた向う側を吟味し始めた。するとちょうどその時
「あすこに吉川さんの奥さんが来ていてよ。見えたでしょう」
お延は少し驚ろかされた眼を、教わった通りの
「百合子さん、眼が早いのね、いつ見つけたの」
「見つけやしないのよ。
「叔母さんや継子さんも知ってるの」
「ええ皆な知ってるのよ」
知らないのは自分だけだったのにようやく気のついたお延が、なおその方を百合子の影から見守っていると、故意だか偶然だか、いきなり吉川夫人の手にあった双眼鏡が、お延の席に向けられた。
「あたし厭だわ。あんなにして見られちゃ」
お延は隠れるように身を
「そんならいいわ。逃げ出しちまうだけだから」
お延はすぐ継子の